概念

「どこかへ、ぶらっと旅に出たいんだ。何かから遁れたいんだ。」そうして旅に出る。人とは無力なものである。

ちなみに5時間しか寝ていないので自明に眠い。

三島駅から歩いて30分弱、三嶋大社についた。

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とりあえず写真何枚かぽちぽちして、それから本殿へ。ってびっくりするくらいがら空きなんで少し不安に。まあたいした観光地ではないと言うのであればその通りと答える訳ですが。雰囲気は出雲大社が1番近いかな。出雲ほど大層なものではないけれどね。

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次にどこへ行こうかなと考えた時に柿田川湧水という文字を発見した。というわけで後先を考えずに歩き始めたのだがこれがキツかった。炎天下、40分くらい歩き続けることになってしまった。

 

柿田川公園。水が湧き出ている場所は複数あった。このぽこぽこしている感覚が結構好き。

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多分カワセミが写っているが遠すぎたので望遠レンズ持ってくれば良かったなとこの時だけ思った。確かによくパンフレットで見る、あの、美しい、水が湧き出ているスポットは、ある。

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ただ、何かが違う。よくある話なのかもしれない、例え小さなスポットでもその写真をどアップで撮れば迫力あるように見えてしまう。

 

ただこれで終わる訳には勿論いかない。サウナというそれに入れば痩せるだとか健康になるだとかよく分からない売り文句に惑わされて中に長居し、極めて非効率な環境の中でも健康になれるという認識で以て己の苦痛を超克していく。ちなみにニーチェ先生は自己超克とかいう己の存在すら飛ばしたが流石に自己は残っていると信じたい。そうして何か健康になった気になる人は上がった後の麦茶を楽しむのである。(そういえば熱盛の麦兄コラ何時か流行ってましたね。)この麦茶がただのぬるま湯であった時人は失望感を抱く。

 

自らの抱いていた美的な空間を求めてだらだらと空間を移動する。暑い中幼稚園児くらいの子が水遊びをしていて羨ましさを覚えながらも歩を進めると、木々の間に

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ただし煩悩の塊である自分が異なっていた点は食に対して弱いということだった。歩き終わって戻ってきた時の湧き水は冷たくて美味しいと感じた。最近水の美味しさというものを分かり始めているので多少は大人になったのであろう。

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そして豆腐アイスを食べて体を冷やした。手荒れ酷いのは許して・・・。結構美味しかったのでリピートしたい。(語彙力)

バスの中で『金閣寺』を読み終えた。有為子が殺される場面とか乳を茶に注ぐ場面とか金閣寺を燃やす場面とか部分部分で読んだ記憶はあるものの全部通して読んだことは無かった。かなり重かったし今でも半分も理解出来ていないような気がするので5年後くらいにまた読もう。

 

ちなみに本読んでいたら酔った。後払い式釣り銭無しで両替してなくて三島駅着いてからバスの中でごちゃごちゃしていて運転手に迷惑かけた。あと、熱海に金目いた。

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柏木は、美とは虫歯のようなものだという。世の中のJKは今日が最終授業なのかはたまた部活なのか分からないが今日は彼女らをよく見かけた。果たして女の子の美とは認識なのか。今帰りの電車のボックスシートで目の前にJKが座っている状況でありながらもこの文章を真面目な顔して打っている自分がいる。

 

2020/8/7 mon